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~主婦のミカタ~ ※まとめてません

結婚が決まって彼の家に挨拶に行ったとき、両親と会った瞬間にとんでもない条件をブチこまれてしまった!

time 2023/05/06

結婚が決まって彼の家に挨拶に行ったとき、両親と会った瞬間にとんでもない条件をブチこまれてしまった!

59: ↓58続き:15/10/26(月) 12:24:17 ID:Slj
1人目のお嫁さんは、流産か死産かがもとで亡くなり、
2人目のお嫁さん(私たちの曾祖母)は、祖父、大叔父、大叔母を生んでから病気で亡くなった。
3人目のお嫁さんは、何回か流産、死産した後、もう一人の大叔父を生んだ。

3人の嫁はみんな、高祖母や曾祖父に「何もできない嫁だ」と見下され、
暴力を受けていたらしい。おそらく軽度の知的障害者のような人を選んだのだろう。
父が面識のある3人目のお嫁さんは受け答えが知的障害者の雰囲気だったらしいし、
病気で早世したという末の大叔父もそんな感じだったらしい。
祖父兄弟が健常なのは、曾祖母の状態が遺伝しないものだったか、
置かれた環境とかで後天的に無知、知的障害的になっていただけなんだろうか。

高祖母は戦中になくなり、戦後のぐちゃぐちゃと曾祖父の無能で、資産は残っても
家業は傾いた。嫁はそういう状況だから夫を支えるなんてできる状態ではなく、曾祖父はそれを
逆恨みのように家族への暴力・虐待に向けていた。
家業を清算するという頭も働かず、浪費はするので実際の生活は苦しくなる一方だった。

高祖母の長男教でスポイルされかけていた祖父は大学に行き社会に出て覚醒
(戦中の反動で、リベラル思想とかが終戦直後の大学とかに一気に入ってきたのに感化されたらしい)
田舎の本家筋に養子に出されていた大叔父と協力し、診断書を偽造して(昔はできたのか?)
曾祖父を「禁治産者」にして権力を奪い、家業を清算、高祖母自慢の家も
「ビルディング」も、借金のかたに売り払った。

で、曾祖父と嫁・末の弟を別居させ、曾祖父は田舎の大叔父の家の座敷牢みたいなところ
(父は見たことがあるらしいが、本来は結核患者等が村に出た時に隔離するような目的だったらしい
曾祖父はすでにアル中のようになっていたので、ある意味目的通りではあった)
に押し込めて死ぬまで飼い殺し、嫁と末の大叔父は祖父と大叔母が最後まで援助していたという。

そして、3人目のお嫁さんが亡くなったときに、「自分たちを虐めた爺・婆と、死んでも同じ墓ではかわいそうだ」
と祖父が言って、家の墓とは別に、曾祖父の3人のお嫁さんと末の大叔父の墓を別に作った。
1人目のお嫁さんは、それまでちゃんと霊標に名前も入れてもらえてなかったらしい。

3人目のお嫁さん、父から見れば義祖母に、父はすごくかわいがられたらしい。
テレビの中のことと現実の区別がつかない時があり、テレビの特撮の怪物や悪人に
すごくおびえたりしたらしい。「ばあちゃん、あんなの俺がやっつけるからね!」
と父が言ってなだめたこともあるといってた。

かわいがられた思い出故に、成人して祖父から真相を知らされてからは
高祖母のやったことが絶対に許せなくなった、といってた。

自分の家系に、こんな暗部があったことが衝撃的だった。

60: ↓名無し:15/10/26(月) 12:40:31 ID:SRO>>59
二時間ドラマが出来そうだな

61: ↓名無し:15/10/26(月) 12:57:11 ID:cYU二時間でやるには監督の腕がいるな
二夜連続でどうだ?

は、兎も角、少し切なくなった
義理曾祖母さんは最後お幸せだったのね

62: ↓名無し:15/10/26(月) 14:36:07 ID:Umkお父さん、祖先の愚行を反面教師に、真人間に育たれて本当に良かったね。

63: ↓名無し:15/10/26(月) 17:21:54 ID:nIS小学六年の時に学校主催でキャンプがあった。

で、当然ながらキャンプファイヤーがあるわけだが、そこでクラスごとに出し物をするのな。
うちのクラスはラップ調の某グループの曲に合わせてダンスすることになった。

学校行事なので事前に皆で何度も練習して備え、いざ当日のキャンプファイヤーで、ちょいとした問題が。
最初に出し物を披露した別のクラス(六年の一組。出し物の順番は素直に組の番号順で、うちは五組で最後)が、俺らと「まったく同じ曲」でダンスを披露したんだわ。
振り付けは違ってたが、同じ曲でダンスってモロ被りだった。
何をするかは担任教師も知ってたはずなんだが、どうも出し物のすり合わせをしてなかった模様。

悪いことにというべきか、キャンプファイヤーの初っ端で披露されたせいか、一組のダンスは居合わせた他クラス一同から大喝采。
アンコールの唱和が起き、それに応じてノリノリのダンスが再び披露された。

それから三つ他のクラスの出し物が続いた後、俺達こと五組の出番が来た。当然、今更出し物や曲を変えることもできず。
個人的には実に気まずい思いで、つい先刻に二回流れた曲が三度流れる中、ダンスを披露した。
もう俺としては「こんなこともあるわな」と思いつつ、盛況のうちにキャンプファイヤーが終わってテントに戻ることを願っていた。

でもまあ、他のクラスの連中も別に笑ったりすることはなく、普通に拍手してくれて普通に終わり…かけたとき。
うちのクラスの中でも気が短いと評判だった男子が涙交じりに叫んだ。

「何で俺たちにはアンコールがかからないんだよ!?」

いやもう、空気が凍りつくってのはああいうことかと。
それまで賑やかだったキャンプファイヤーの場が、一瞬にして静寂に包まれたからな。
おそらく他クラス一同も無言の了解で「何も変なことはなかった」と、楽しいままに終わらせようとしていた空気が一瞬にして瓦解した。
頼むから空気読んでくれよ、と切に願ったのはあのときくらいだ。

その後、先生たちが、
・キャンプファイヤーの時間が押していること、
・できればすべてのクラスの出し物にアンコールして欲しいくらいだったがそうもいかないこと、
・なので先生たちの方で最初の一組以外にアンコールがかからないよう制止していたこと、
ということを説明し、その場はお開きになった。

しかし、あのときの空気が凍りついてひび割れるような感覚は、十年たった今でも思い出せる。
小学校六年の思い出として真っ先に思い出す、ささやかながらも子供心に「空気を読む」大切さを刻み込んだあの叫び声はまさに衝撃的だった。

続きます…

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