2024/05/26
502:483:14/08/20(水) 02:39:50 ID:4D0JUgBYa転職して2年目に入る頃には月経による不調だけではなくなっていた。
元々、幼少時から寝つきは悪かったがそれに磨きがかかる。0時前に横になっても眠れるのは朝方の4時をまわるころなど日常だった。
フレックスだったため朝は10時出社でよかったのでまだマシではあったが、それでも睡眠時間は2~3時間だった。
フラッシュバックなようなものも増え、人との接触に対して再び恐怖を覚えるようになり満員電車が苦しくなった。
人との接触を完全に避けて生きて行くことはできない。そう思って長い時間をかけて大分慣れてきていたのに。毎朝尋常じゃないほどの気合を入れなければ出社のために靴を履くことができなかった。
食べ物の味もわからなくなっていった。美味しい店を探して食べるのが大好きだったのに何を食べてもおいしいと感じなくなった。
休職直前には、朝目がさめても寝床から身体を起こすことさえできなくなっていった。
それでも、午後からは出社して仕事だけは終わらせていた。
部内の人間の目は冷ややかだったが部外の人は私の事をひどく心配してくれていた。それだけはとてもありがたかった。
部外の人間から見ても、やはりKさんやMさん、Sさんは異常に映っていたらしい。
3方向から板挟みにされ、日に日に気力を失くしていく私を随分と気遣ってくれた。
私の業務は全社員が関わってくるために問い合わせが多く、顔見知りも多かった。
そういった人たちは「大丈夫ですか?」「顔色が悪いですよ」「無理せず休んだ方が良いですよ」と声をかけてくれた。
中には、私がどういう契約で入社したかを知っている人もおり、どうせこのままやっていても思った仕事はさせてもらえない。
いっそのこと部署移動をしたらどうか。自分のところにこないか。そう言ってくれる人までいた。
とてもありがたかった。
でも、ひたすらその分野を追及してきた私には、今更どうやって他の仕事をすればいいのかわからなくなっていた。
そして、最終的に、人事から産業医への面談を強制的にセッティングされ、産業医からは心療内科での診察を厳命された。
最初は睡眠導入剤で睡眠時間を確保できたため、一時回復を見せたものの、徐々にもとに戻っていった。
そして心療内科に通院するようになってから1年、だましだましもがいてきたものの勤務状況には改善が見られず、ついに産業医から休職を通告された。
通告されたのは木曜日だった。翌日の金曜日には荷物を片付けて休職となった。
部内の人間には、金曜の夜、全員が帰宅した後にメールで休職を伝えた。
部外の心配してくれた人たちには、昼間のうちに挨拶にまわり、しかかりを残して休職してしまうことをお詫びしてまわった。
みんな本当に優しかった。
休職に入ってから、家族に相談することもできず1人で傷病手当金で生活していた。
だが、収入が激減していたおかげで保険料改定の際に等級がどんと下がり、手当金支給額が10万近く減りいよいよ二進も三進もいかなくなった。
その時、あまりの金額の下がり方に疑問をもち色々調べて問い合わせをしたところ改定計算ミスが発覚し、ある程度の金額は戻ったものの、完全に生活できる次元ではなくなった。
実家を頼るしか選択肢がなくなっていたが、タイミングが悪い事に、絶縁状態だった父方の祖母がアルツハイマーを発症し、実家もかなり疲弊状態であることを知っていた。
「なぜ私の人生はこんなにタイミングが悪いことばかりなんだろう」
深く絶望し、いよいよ首を吊ろうかと本気で考えもした。しばらく、自傷行為の衝動を抑えるのも大変だった。
実家に相談しても「お前が悪い」と言われるんだろうと落ち込んだ。
「こんな時に何をやっているんだお前は」と言われてしまうんだろうかと考えた。
生活保護とか申請したら受け取れるだろうかとかも考えていた。
親族がいるのだから受け取れない事もわかっていた。
散々考えて考えて考えて、実家に相談するしかないと自分を追い込みきってようやく、連絡することができた。
つd(ry
503:483:14/08/20(水) 02:40:14 ID:4D0JUgBYaらすと
それでも電話はできず、メールを送ることしかできなかった。
父に半年ほど前から休職していること。保険料の改定で傷病手当金が激減したこと。今の状態をなるべく維持して寛解に持っていきたい事。そのために資金援助を頼めないかとメールした。本当に情けなくて恥ずかしくて怖かった。
メールを送って3分もしないうちに父から電話がかかってきた。しばらく電話に出るのが怖くて固まってしまった。
電話に出ると当たり前だけど父の声が聞こえてきた。よく考えたら父と電話越しに話すのなど数えるほどしかなかったかもしれない。
会話は結構鮮明に覚えている。
父「お父さんだけど、メール見たよ。休職って身体壊したのか?」
私「うん」
父「どこ悪くしたんだ」
私「(鬱だというのが恥ずかしく、ごにょごにょごまかしてしまう)」
父「重いのか?」
私「俗にいう、うつってやつです・・・」
父「なんだ、うつか。死ぬ病気かと思ったじゃないか」
私「ごめんなさい」
父「いつから休職してるんだ」
私「5月の終わりくらいから」
父「そんな前からか。でも貯金してたんじゃなかったのか?」
私「休職する前からずっと休みがちだったから貯金食いつぶしてて」
父「わかった。金の心配はしなくていい。いくらいる。」
私「え?」
父「フルで仕事していた時の給料との差額はいくら?」
私「月10万・・・」
父「10万て食うもの食わずに節約して生活してたんじゃないだろうな!?」
私「食うものは食ってます・・・(本当は食う気力が無くて自然と食い物節約していたとは言えなかった)」
父「わかった。毎月何日に振り込みがいい?」
私「え、あ、じゃあ25日で・・・」
父「わかった。どうせまともなものも食ってないんだろう。適当にちょいちょい飯でも食いに帰ってこい」
私「はい・・・ありがとうございます・・・」
どれだけ怒鳴られるだろう怒られるだろうと怯えながら電話をとったので頭が現状に追いついていなかった。
電話を切ったあと、また5分とたたずに父からメールがきた。
父「取りあえず今10万振り込んだ。一人で悩まず相談しなさい」
なんと言っていいのかわからなかった。家族に悩みを相談するという経験もなく、友人も悩みを聞いたり、八つ当たりをされることはあっても、聞いてもらえることはなかった。
私の人生、誰かに相談するということがまずはなかった。愚痴を言うということもあまりなかった。聞いてくれる人がいないから。
この時、自分は誰かに相談をしてもよかったのかと初めて気づいた。
ずっと自分の事は自分で解決しなくてはならなくて、一度家を出て一人暮らしをしたら二度と頼れないと思っていた。何か悪い事が起きた時は必ず自分のせいなのだと思っていた。
資金援助をしてもらえるようになってから、随分と落ちつけてきた気がする。
休職に入ってからも常に生活費のことばかり考えて気が休まる時がなかった。日雇いのバイトでもしようかと真面目に心理士さんに相談したりもした。
それは収入があるとして傷病手当金が受け取れなくなるからいいよとは言えないって言われた。
実家に援助してもらえるようになってから、家の中で何かをする気力も出てくるようになり、1年が過ぎた今は大分外出できるようにもなった。
今はまた別の問題が浮上しているんだけど、落ち込みはしているもののそれなりに考えられている。
心理士さんにも、随分話せるようになったねと言われた。自分でもわかるほど、自分のことを話せるようになった気がする。
立ち直ってきたかなとは思いつつも、もうすぐ強制退職&傷病手当金支給期間が終わるので次の仕事どうしようという修羅場は続いている。
504:483:14/08/20(水) 02:41:58 ID:4D0JUgBYa超絶長文でレス消費してごめんなさい。
どっかにどうしても吐き出したかった。
でも吐き出せたことで、また少し、自分の頭の中が整理できました。
>>484さん、聞こうかって言ってくれて本当にありがとう。
勝手な自分語りに付き合ってくれてありがとう。
505:名無し:14/08/20(水) 03:11:40 ID:3oHesz27F読んだぞ 確かに長いなw
506:名無し:14/08/20(水) 03:13:03 ID:3oHesz27Fいや 大変だな 退職は決定事項なのか?
507:483:14/08/20(水) 03:13:22 ID:4D0JUgBYaうわあああ本当に最後まで読んでくれたんですかありがとう長くてごめんなさいorz
自分の中で全部が全部絡みすぎてて削るところがわからなかった(´・ω・`)
こっそり聞いてもいいですか、ここってもしかしてsage進行ですか・・・?
508:483:14/08/20(水) 03:13:58 ID:4D0JUgBYa退職は決まってしまいました。
人事からさっさと書類を出せと2日に1回電話が来ます(´・ω・`)
509:名無し:14/08/20(水) 03:14:48 ID:3oHesz27Fいやsage進行ではないよ
510:483:14/08/20(水) 03:16:50 ID:4D0JUgBYaよかった、そこを気にせず超投下してしまったのでちょっと焦ってしまいました
511:名無し:14/08/20(水) 03:19:20 ID:3oHesz27F483は我慢強いんだな すごいな
俺だったらもっと早く辞めてるよ
512:483:14/08/20(水) 03:21:41 ID:4D0JUgBYa我慢することが当たり前になってしまっていたんです。
新しく出会う人とのコミュニケーションもやっぱり苦手なのでこの転職もすごい決意でしたんですけどこんな結果になってしまいましたw
父が厳しい人だったので、「また仕事変えたのか!」って怒られるかもしれないっていう怯えもありましたw
513:名無し:14/08/20(水) 03:25:15 ID:3oHesz27F体調のほうは大分良いのか
転職するにも体調が戻らんと なあ
514:483:14/08/20(水) 03:27:52 ID:4D0JUgBYa通院している病院がすごく当たりだったのか、処方された薬がすごく少なくて、かなり自分で生活時間をコントロールできるようになってきました。
あとは引きこもりで落ち切っていた体力を取り戻してリハビリするだけだねという段階まではきてるんです。
寛解まであと少し!というところです(*’ω’*)v
515:483:14/08/20(水) 03:29:52 ID:4D0JUgBYa連投になってしまいますが・・・
今の問題は父がかなりはっちゃけでは無いですが心配していて、一生懸命実家に戻そうとしていることですかね・・・
516:名無し:14/08/20(水) 03:33:25 ID:3oHesz27Fなら先は明るいな 大丈夫だ
だけどすごい人生だな 全部自分のせいじゃないものばっかだな
Mって気持ち悪いんだけど 小中記憶がないってのもすごいね
いやいろいろありすぎ
続きます…